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ぱぴぷぺぽきぷし通信

過去関心 Poughkeepsie のKW

矢川ピアノ工房

ここは二代にわたり被爆ピアノの修復にも努める広島の片田舎のピアノ工房。

教わって今年の八月六日は平和記念資料館そばでの野外演奏会を聴いた。今回のピアノは大正八年製のヤマハのアップライトで当時のお金で家二軒たつほどの高価なものだったらしい。持ち主もご存命で短い時間ではあったが聴きにいらしたという。とても爆心からわずか1.5kmで被爆したものとは思えないほど力強い音だ。

爆心に近いにもにもかかわらず、奇跡的に生き延びたのは持ち主は音楽教師でそれも結構なお屋敷だったからだそうで、がれきの下でガラス片が刺さり満身創痍の状態ではあったが生き残ったという。その当時から昭和三十年代くらいまでは日本楽器製造株式会社、つまり後のYAMAHAの黄金期のもの。その時代ならではの良質な木材を使い、職人の丹精込めた手つくりによるからだそうだ。

この工房の被爆ピアノの修復の基本スタンスは、出来る限りアーカイブに保つということ。弦が切れてしまっているとか音が出ないようなパーツの酷いダメージの箇所のみを修理し、他は例え弦が錆びていようとも、できる限り現状の保持に努めるというもの。

初代の矢川光則氏曰く、広島と長崎を合わせて約十台のピアノの現存が確認されているらしい。そのうち五台がここに寄贈されていて、被曝ピアノの演奏会の要請に答えるべく、全国各地の演奏会場まで自らトラックを運転し運びこんでいるという。そしてそれは国内だけににとどまらず、数年前にはにNY州本願寺の口添えで、原爆を落としたほんもとの米国へ運び、9.11の追悼現場で祈念演奏会をおこなったという。その姿勢は広島人のみごとな心意気といった風である。

今回、主のいなくなった家人の実家に残された彼女の思い入れの強いピアノの修理状況を見学させていただいた。完成品や修復中のものが他にも十数代台以上あった。いろいろ弾いて聴かせていだいたが、大正から昭和初期にかけてのものはどれもびっくりするほどいい音だった。

画像の世界で一台しか現存しない「ルイシリーズ」昭和十ニ年製(製造番号31953 88鍵 6本脚 1点張り形式)の被曝グランドピアノは、ジョージ・ウィンストンが切望しコンサートで使ったという。見たこともないような形のごっつい鋳物フレームが井桁状に仕込んであり物凄い鳴りだ。

ということは、

つまり下手に高い金出して現代の新品を買うより、ビンテージものを修繕した方が、よほど良く鳴るピアノがお安く手に入るというわけ。

また、

そこで修繕を待つピアノたちには、それぞれにいろんな「人生」があり、なかには家と共に解体されそうになったところを寸でのところで救われたものも多いという。そのような工房は関東・関西には山ほどあるそうだが、「親が無理して買い与れたくれた」とか等の思い入れのない人は別として、大概は「○○もとピアノ」のようになところで二束三文で買いたたかれ、某中華人民共和国へ売り飛ばされているのが現実だそうだ。

因みに二代目矢川善丈さんは、米国ではなく本家ハンブルグスタインウェイ社で研修を積んだという。

HP:http://www.ygtc.jp/

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